社長インタビュー

社長インタビュー

2020年、小学校にマスク寄付

ここまで積み重ねてきた会社の歴史を教えてください。

株式会社ヤスイは、地域密着企業として60年以上の歴史があります。私の祖父が創業した「安井商店」は、当初シャツや下着などを売る、いわば洋品店のような店だったと聞いています。跡を継いだのが、祖父の娘である私の母です。母は薬剤師なのですが、祖父は安井商店をいずれ薬局にするというビジョンを持っていて、そのために母に薬学を学ばせたようです。

では、創業社長の思い描いた通りになったということですね。

そうですね。母は父と結婚し、父が会社の代表となり、2人で安井商店の多店舗展開を始めました。薬局として少しずつ支店を増やし、1980年代後半には調剤事業に参入。私の代になった現在は、ネイル部門など、新たなジャンルへの挑戦も始めています。

そんな歴史の中、池田社長はどのような経緯で会社に加わったのですか?

幼いころからがむしゃらに働く父と母の背中を見て育ってきましたから、それがカッコいいと思っていましたし、いずれは店を助けたいとずっと考えていました。ただ、大学を卒業してすぐにヤスイに入るのではなく、修行のためにと静岡県のドラッグストアチェーンに就職しています。そこでは店長やバイヤーなどを経験し、店舗運営や経営について学ばせていただき、5年後に戻ってきました。ヤスイに入社してからは店長や管理職を経験して、2016年から社長として経営にあたっています。

先代から社長職を引き継がれたのは、どんなタイミングだったのでしょう。

先代の社長である父は責任感の強い人でしたから、漠然とですが「父はずっと社長をやるんだろうな」と思っていたんです。そんな折、いろいろと仕事について相談をする、私の知人に「お父さんはあなたが“社長をやらせてくれ”と言ってくるのを待っていると思うよ」と言われたんです。私としても、自分が会社を引っ張っていきたいという考えもありましたから、父に社長をやらせてほしいと、意を決して頼みました。返ってきたのは、「1年後の決算時期になってみて、交代が会社にとってプラスになると思えたなら、譲る」という言葉でした。そして運命の決算月を迎えましたが、先代は何も言いません。「ああ、これは私がまだまだだということだな」と納得していたのですが、しばらくして突然「お前、来週から社長だから」と告げられました。

先代社長の気持ちは、決算の時点で決まっていたんですね。

そのようです。そこから週に一度、先代はマンツーマンで私に経営について伝授する機会を設けてくれました。分厚い資料まで作って、自分の経験を交えて経営のイロハを教えてくれました。その時の資料は今でも取ってありますし、少し前までは迷った時に必ず開く経営バイブルとして重宝していました。

では、きちんとしたノウハウを受け継ぐことができたということですね。

もちろん、私が社長になることが「会社のプラスになる」と判断してくれたからこそ、経験をしっかり継承しようとしてくれたのだと思います。それはとても自信になりました。それともうひとつ、2人で向かい合って長い時間にわたって話す機会は、親子でありながら今まであまりなかったんです。父も母も若いころから、それこそ私の運動会の応援に来ることもないくらい働き詰めでしたから。もしかしたら、私が子ども時代に失った時間を取り戻すための意味合いもあったのかな、とも思ったりして……。いずれにせよ、先代には感謝しかありません。

実際に社長職を引き継がれて、イメージと違ったところはありましたか?

「決める」ことの難しさでしょうか。決断するにはプレッシャーもかかりますし、タイミングに迷うこともありました。ただそれは当たり前のことでもありますし、今ではそのスリルとプレッシャーを楽しむ域にまで近づけているんじゃないかと思います。

決断を下すときの明確な判断基準はありますか?

私は「ロマンとそろばん」という言葉を大切にしています。ロマンを求めなければ、社員もお客さまもついてこない、ただ、ロマンばかり求めてそろばんをはじくことを忘れると、会社は立ち行かなくなる。重要なのはそのバランスです。世のため、人のため、会社のため、という3つの要素を満たしていれば、間違うことはないと考えています。

社長に就任して、変えたところ、変わったところがあれば教えてください。

「変えよう」として失敗しかけたことはあります。静岡から戻ってマネジメントをし始めた頃のことです。ある部長が従業員に面談をしたところ、多数のスタッフがヤスイを辞めたいと言っているという結果が出ました。びっくりしましたね。考えてみると、私は静岡での修行で学んだ商品の売り方や利益の追求の仕方を、そのままこの会社にも当てはめようとしていたんです。意気込んで多少空回りしていたところがあったのだと思います。それからは気を引き締めて、多方面から意見を聞き、参考になる本を読み、客観的なマネジメントをするようにしています。

ただ、新社長としての色は着実に出されていますね。

現在では、新規事業に着手したり、イベントを開催したりと、新しい試みはいくつも行っていますが、先代のやってきたことを、私流に「変えた」という意識はあまりありません。強いて言うなら「発展させた」ということになると思います。ベースにあるのは積み上げてきた地域とのつながりや、お客さまの健康の向上に貢献するという考え方です。今ならそれが一番大切だということが分かります。

地域貢献を大切にされていますが、地域におけるヤスイの役割をどうお考えですか?

年に3回ほど健康の測定や新しい商品を紹介したりする「ヤスイ健康祭り」というイベントを行っています。常連のお客さまは毎回来てくださいますし、そこで定期的に情報を発信させていただけるので、地域全体の健康管理には貢献できているかなと思っています。私たちとしても、地域のみなさんが健康について何を考え、何を求めているのかを把握することで、それをさまざまなサービスにつなげていける。そんな好循環が作りやすいですね。これからの時代は私たちの果たすべき役割がより大きく、多彩になっていくのではないでしょうか。

2020年、小学校にマスク寄付

常に先を見据える池田社長の元には、どんな社員さんが集まっているのですか?

手前みそに聞こえるかもしれませんが、非常に優秀な社員ばかりなんです。私にはできないことができる、という人ばかりです。社員のおかげで、私はあちこちに首を突っ込まずに常にマネジメントに専念できる、それがヤスイの強みだと思います。それと、誰もが能動的に動いてくれるところも特徴的ですね。普段の接客はもちろんですが、健康コンサルタント的な役回りを求められることもあれば、イベントでのお客さまへの対応もしなくてはならない。でも、あらゆる場面で、マニュアル的ではないコミュニケーションを取りながら、臨機応変に対応してくれます。とても助かりますし、社員を心からリスペクトしていますよ。

社長が経営者として最も大切にしていることはどんなことですか?

掛け算の発想ですね。すでにあるものを掛け合わせて、新しいものを創造・発想するという考え方です。例えば、磁石の力で宙に浮きながら点灯する電球のオブジェ、というものがあるんですが、私、これが大好きで飾ってるんです。磁石は何千年も前からあるし、電球も140年程前に発明された、もはやどこにでもあるもの。でも、それを組み合わせるだけで、こんなにユニークですてきなオブジェになるんです。私たちの事業でいえば、調剤薬局の店頭にネイルサロンを置くなどすでにあるものをうまく掛け合わせることで、より広がりのあるサービスにつながるわけです。ですから、この発想を常に持ち続けることが大事だと思っています。

今後ヤスイはどんな企業になっていこうとお考えでしょうか。

会社としての具体的な目標を言うなら、2030年度までに「100億円企業」になることです。ただし、この数値目標は「そろばん」の部分、つまり会社の利益を追求するということだけではなく、きちんとした意味があります。私たちには、地域の健康寿命を延ばすという使命があり、それはこれからもずっと果たし続けなくてはならないと思っています。そのためにも、会社自体がなくなってしまうことがあってはいけません。では、どんな企業が長く継続して存在し続けているかと調べてみると、ほとんどの会社が年商100億円以上の企業なんです。そういった会社は、いずれも組織がしっかりしていて、確固たる運営の仕組みを持っているところばかりです。だから私たちは、組織をブラッシュアップし、仕組みを作り出し、その仲間入りをしたいと思っています。

では、社長個人の夢や目標はなんでしょう。

うーん、個人的な夢ですか。特にない、かな。私にとっては、仕事が趣味であり、生きがいであり、すべてを賭けたくなるものなんです。働くことの尊さ、カッコよさを背中で示してくれた両親の影響が強いのだと思います。もちろんプレッシャーもありますし、キツいこともあるんですが、それも含めて楽しい。だから会社の目標イコール、私の目標であり、それを達成するために挑戦し続ける事が私にとって最大のやりがいなんです。